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[ 小説の感想文のようなモノ ]
この本は ここと ここで 買えます
小説「審問」
パトリシア・コーンウェル著(講談社文庫)
全国書店ネットワーク e-hon

2001.01.01

 困ったことに、年末にやたらと分厚い本をふたつも読んでしまいまして。しかも両方とも上下二冊に分かれているから、合計四冊読んだことになるわけです。そのうえ一方はエッセイだってんですから、困ったもんです。何が困るって、そりゃあぁた。エッセイじゃぁこの「感想文のようなモノ」に使えないじゃありませんか。まあ、好きな作家のエッセイで、しかも雑誌に連載してからかれこれ十年、本になっていなかったものですから、発売当日に大喜びして買いましたよ。たとえその本が、一冊3900円で、二冊あわせたページ数が、本文だけで千百ページを超えるような分厚い本でもね。まあ、困ったのは、その本を出した出版社があまり大きなところではないので、そこらの書店じゃ普通には手に入らなかったってぇことですかね。気がついたら、一気に読みきってしまいましたが。  
 って、今回は都筑道夫の「推理作家のできるまで」の話しじゃなかった(笑)  
 パトリシア・コーンウェル作、検屍官ケイ・スカーペッタが主人公のシリーズの最新作です。このシリーズは、たぶん回を重ねる毎に長くなっていて、今回はついに上下二冊に分けての発刊です。本国でもそうだったんでしょうか? まあ、助かるのは、このシリーズが日本では最初から文庫で出るってことでしょうか。先に紹介した「推理作家のできるまで」なんぞは、ハードカバーですから高いし重いし(笑)こちらの「審問」は、上下二冊でも二千円でおつりがくる。「推理作家のできるまで」一冊で、「審問」が二組買える計算です。  
 って、そういう文句を言っててもしょうがないな。  
 今回の「審問」で、検屍官シリーズは十一弾目になるのだそうで。もう十年ぐらい続いてるのかな? わたしはたしか、最初の一冊からずっとつきあってるはずだから、長いもんです。この十一弾目では、なんと主人公スカーペッタが殺人事件の容疑者として扱われてしまいます。といっても、読んでいる人は最初から「そんなはずないじゃん」と思っているでしょうから、主眼はその容疑をどうやって晴らすか、ということになるでしょう。と、じつはここまでは、本を読む前に考えたこと。帯だの背表紙だのにやたらと「スカーペッタに殺人容疑!」と書いてあれば、誰だってそういう読み方をするでしょう。  
 ところが驚いたことに、上巻が終わっても、実際には「スカーペッタに殺人容疑!」という話しにはならないんですね、これが。まあ、その雰囲気はあるんですが、はっきりそうは書いてない。あいかわらず展開がゆっくりで、しかも登場人物たちはほとんどみんな、例によってイライラしているようだし。とはいっても今回は、あまりイライラいていない様子の登場人物もかなりいて、いつもよりはストレスなく読み続けることができました。  
 ただ、このシリーズを読んでいていつも思うのは、作者のコーンウェルという人は、ひょっとしていままでかなりの性差別を受けて来た人なんじゃないかなぁ、ということ。あるいは、今でも受けているのか。というのも、出てくる男の大半が粗野か馬鹿かスケベかろくでなしか犯罪者か、あるはその混合で、全部を併せ持った男というのも、大勢出てくるんです。もちろん、女性で馬鹿だったりろくでなしだったり犯罪者だったりする登場人物も、何人も登場しますが、その割合で見るとあきらかに「男の方が使えない」と言っているんですね。しかも、要職についていてなおかつ有能なのは、女性の方が圧倒的に多いんです。まあ、前作では珍しく要職についている女性で使えない奴、というのが出てきましたが、こいつは殺されちゃうし(笑)  
 これは別に秘密にする必要ないと思うんでばらしちゃいますが、スカーペッタにかかる殺人容疑というのは、このろくでなしの女性警察副署長の殺人容疑なんですね。あ、本文の中で言及してましたが、男性警察署長とか男性市長と言わないんだから、女性警察署長とか女性市長という言い方は、明らかに差別意識が入ってるんですね。それはわたしもわかってます。まあ、良くないなぁとは思っても、そういう風に言ったり書いたりしてしまう現実ってのはあるんですが。  
 個人的には、それをどうこうしようとは思ってません。言葉というのは、それ自体が持つ力も当然ありますが、実際にはそれを使う人間の気持ちが大事なわけですから。女性警察署長という表現をしたとしても、差別の気持ちが入っていなければいいと思うし、「女性」という言葉を入れなかったとしても、裏に差別の気持ちが入っていれば同じ事だと思うし。しまった、話しがそれたな。  
 大変だなぁと思うのは、「黒人」という記述をしていないこと。人種差別の問題からか、すべて「アフリカ系」という記述になってます。ところが、「白人」は「白人」なんですね(笑)ところどころに「イタリア系」とか「ヒスパニッシュ」といった記述は出てきますが。アジアも「アジア系」で済ませているような気がする。それでいいのかなぁ。  
 余談ですが、アメリカでは逆人種差別の問題が出ているのだそうで。たとえば何かで定員10人の募集をした場合、採用した中に黒人が入っていないと、差別をしたと言われてしまうので、必ず黒人を入れるようにするのだそうです。上位10人の中に黒人が入っていなくても、黒人の中でのトップを入れるんだそうで。そうなれば当然、本当ならば採用されるはずだった10位の白人ははじき出されてしまうわけですね。採用された黒人よりも優秀だったにもかかわらず。なんだか、困ったもんです。  
 って、全然本の内容に触れてませんが。まあ、いつものことってことで。新世紀早々こういうことでいいんだろうか? 誰も気にしないか、そんなこと(笑)  


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