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[ 小説のようなモノ ]
間違い電話(初稿)
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 疲れた体でドアを開けると、留守番電話にメッセージが入っていることをしめす緑色のランプが、暗い闇の中で点滅しているのが目に入った。  
 上着を脱ぎながら部屋の明かりをつけ、わたしは頭をひねった。  
 誰からだろう?  
 ほとんどの友達が、わたしの携帯電話の番号を知っている。用事があるなら、留守番電話にメッセージを残さなくても、携帯電話にかけて来るはずだった。  
 きっと、何かのセールスか、実家からだろう。実家の母親は、どういうわけか携帯電話に連絡してくるのを嫌がる。留守番電話にメッセージを残すのも、最近やっと慣れてきたぐらいだが、携帯電話にかけるのを嫌がるのは、わたしにはどうにも納得がいかない。  
 ネクタイをゆるめながら、メッセージ再生のボタンを押すと、  
 「一件のメッセージがあります」  
 と、機械的な女性の声が流れて、テープが巻き戻る。わたしはベッドに腰をおろしながら、電話からの声に耳をかたむけた。  
 「もしもし・・・・」  
 電話から流れて来た声に、聞き覚えはなかった。聞き覚えがないどころか、身に覚えすらなかった。テープが吐き出した声は、幼い子供のものだったのだ。おそらく小学校の低学年か、もしかするとまだ小学校前なのかもしれない。声の感じからは、男の子か女の子かの区別はできなかった。  
 「ごめんね。今日行かれなくなっちゃった」  
 なんだか、泣き出しそうな声だった。  
 行かれなくなったことが悲しいのか、留守番電話に慣れていないためか。それとも、もともとこういう声なのか、わたしには判断できなかった。  
 「じゃあね」  
 なんだか突き放すような言い方で、電話は切れた。  
 悲しそうな声の後に、  
 「このメッセージは、午後三時十二分に録音されました」  
 という作り出された冷静な声が流れると、こっちまで悲しくなりそうだった。  
 かわいそうに。きっと、だれか友達の家に遊びに行く約束をしていたのが、急にだめになったから、連絡をしたんだろうに。悲しそうな声は、きっと友達と遊べないからだろう。親から「だめ」といわれたのか、具合でも悪くなったのか。  
 きっと友達は、ずっと待ち続けていたことだろう。  
 たしかに、わたしの留守番電話の応答は、電話器に内臓されている女性の声の応答のままになっている。だから、かけて来た相手が、間違いかどうかに気づきにくいのだろう。今までにも、留守番電話に間違い電話が入っていたことが、なかったわけではない。  
 ひどいときには、  
 「あ、俺。こないだの件、今日中に回答くんないと、チャラだからね」  
 という、せっぱ詰まった間違い電話もあった。おそらく、こないだの件というの、はチャラになってしまったことだろう。電話をもらう側にはかわいそうだと思うが、わたしにはどうしようもない。  
 逆に、  
 「先日の件ですが、やっぱりお断りします」  
 という、女性からの間違い電話もあった。  
 先日の件というのが、どういう内容だったのか、わたしには知る由もない。だが、断った方は、電話でちゃんと断ったつもりだろうが、相手には伝わっていないのだから、おそらく話しはこじれることだろう。こじれた結果、どうなったのだろう。いろいろと想像はできるが、想像したところでしかたがない。  
 かけて来た相手が大人の場合には、わたしもたいして気にしなかった。きちんと話し合えば、間違い電話だったことに気づくだろうからだ。かりに気づかなかったとしても、きちんと確認しない方が悪い。  
 しかし、相手が子供となると少し違う。なんだか、かわいそうな気がしてきて、わたしは嫌な気分になった。  
 気持ちを切り替えるために、キッチンへ行って、水を飲んでから、わたしは着替え始めたが、気分はあまり晴れなかった。  
 

 翌日。  
 疲れた体でドアを開けると、留守番電話にメッセージが入っていることをしめす緑色のランプが、暗い闇の中で点滅しているのが目に入った。  
 上着を脱ぎながら部屋の明かりをつけ、わたしは頭をひねった。  
 昨日の間違い電話の件があるので、嫌な感じだった。ネクタイをゆるめながら再生ボタンを押すと、  
 「一件のメッセージがあります」  
 という声の後に、テープが巻き戻って、  
 「もしもし・・・・」  
 昨日と同じ声だった。べそをかいているような感じも、昨日と同じだ。  
 二日続けて間違えるとは。たぶんこの子は、友達の電話番号を間違えて覚えているのだろう。わたしの部屋の番号と、一番違いなのか、よく似た番号なのか。  
 「二時ごろ行くからね」  
 テープが止まり、機械の声が録音時間を告げる。午後二時六分だった。  
 おいおい、二時ごろ行くって、電話かけたのが二時過ぎじゃないか。まだ時間の感覚がちゃんとしていないのだろう。とすると、やはりまだ小学校前なのだろうか。それとも、夜中の二時に行くのかい?  
 わたしは、笑いながら着替え始めた。これから行く、という電話なら、大丈夫だろう。断りの電話が相手に伝わらないとなると、問題もこじれるだろうが、これから行く、と言っているのだから、たぶん問題ないだろう。かりに相手の都合が悪くても、まあなんとかなるだろう。  
 わたしは安心して、間違い電話のことは忘れてしまった。  
 夕食は途中で済ませて来たから、冷蔵庫からビールを出し一口飲んで、テレビの電源を入れた。おもしろい番組はなかったが、なんとなくつけたまま、ベッドに横になってぼんやり画面を眺めているうちに、眠ってしまったらしい。  
 薄ら寒くなって、わたしは目を覚ました。部屋の明かりも、テレビもつけっぱなしだった。テレビから、楽しげな大笑いが聞こえてくる。  
 体がべとべとしているような気がするが、今から風呂に入る気は起こらない。  
 ちゃんと寝なくちゃ、と思い、立ち上がって部屋の明かりを消した。ビールの缶をつまむと、中身はほとんど空に近かったが、残ったほんの少しの、気のぬけたビールを、天井を見上げながら喉に流し込んだ。テレビを消そうと、リモコンを手にしたとき、玄関の暗闇に目がいった。そこには、闇のなかに、より一層濃い影がうずくまっていた。  
 いや、闇の中に、子供が立っているのだった。  
 「来たよ」  
 泣きそうな声で、子供の影がいった。  
 リモコンを手にしたまま、わたしは凍りついていた。  
 テレビから、女性が二時を告げる、明るい声が聞こえてきた。  
 
     終わり  


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