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2001.07.11
ふと考えてみたのだが、ここで食い物の話題を取り上げたことが、なかったような気がする。いや、ひょっとしたら、前にも取り上げたことがあるかもしれないが、わたしの記憶にはない。ということは、読者の記憶にもないはずである。たとえどこかに書いてあったとしても、どうせろくなことは書いてないんだから、気にすることはないだろう。
もちろん、わたしが食べ物ネタを取り上げないのには、立派な理由がある。わたしが食い物に興味がないからだ。って、あんまり立派な理由じゃないか(笑)。念のためにお断りしておくが、興味がないったって、わたしがものを食わないという意味ではない。わたしだって一応生きているわけだから、ものを食わなかったらいつか死ぬ、と思う。もっとも、自分が生きているという点でも、ものを食わなかったら死ぬというという点でも、実はいまひとつ自信はないのだが(笑)。ひょっとすると、既に自分が死んでいるのに気づいていない、という可能性もあるのだが、その場合でもひょっとすると腹は減るのかもしれない。そのあたりをあの映画でどのように扱っていたか、ちょっと思い出せないのだが。まあ、このあたりは一度死んでみないと確認はできないだろう。難しい問題である。
なんにしても本当に死んでしまうと怖いので、ものを食わなかったら死んでしまうのかどうか、まだ一度も試したことはない。だから、わたしに限っていえば、ものを食わなかったら本当に死ぬのかどうか、定かではない。たぶん人並みに腹は減るから、放っておけばそのうち死ぬのだろうとは思う。まあ、死にはしなくても、腹が減れば機嫌が悪くなったりして、まわりに迷惑をかけたりもする。それを避けるために、食っている。まあその程度の興味だ。
そうはいっても、うまいものはうまいと感じるし、まずいものはまずいと思う。ただ、たぶん他の人よりもまずいと思うレベルが低いのだろう。まわりの人間が「おいしくない」と言っていても、わたしは「そうか?」と思ってしまうことが多い。これは実はありがたいことなのである。なにしろ、ほとんどの食べ物をおいしくいただけちゃうのだ。こんなに幸せなことはない。もちろん、みんながうまいという食べ物は、たいていうまいと思う。つまり、人よりもうまいと思う範囲が広いのである。これは考えて見れば大儲け。なにしろ、人よりも安い値段でおいしいと思えるものをたくさん食べられるのである。
ところがこれは、逆に考えてみれば、わたしがまずいと思うものは、かなりまずいということになってしまうのである。まあ、珍味といわれるキャビアだのフォアグラだのは、人によってはうまくないと思うらしいし、わたしが食べる機会はまずないだろうから、心配はしていない。それよりも、女の子の手料理をご馳走になったときなんぞに、ついうっかり余計なことをいったりなんぞした日にゃぁ、その後どうなってしまうのか、考えることすら恐ろしい。
話しは突然変わってしまうのだが、上野の国立科学博物館に行くと、NASAで採用しているのと同じ、という謳い文句の宇宙食が売店で売られている。種類もいくつかあって、ピザだのイチゴだのがあるのだが、これがまたなんというか……。ひらたくいうと、それらの食べ物を単にフリーズドライしただけもので、そいつをそのまま食べるのだ。これがまた、うまいとかまずいとかいうレベルを越えてうまくない。わたしがいうのだから間違いない。まずいかどうかは、個人の好みにもよるだろうと思うが、少なくともうまいと思える食い物ではない。宇宙にいる間、ずっとこれを食べ続けなきゃいけないのか、と思うと、宇宙に行きたい、という気持ちの30%ぐらいは減少(当社比)する。いや、ひょっとすると、それをさしひいても行きたくなるぐらい、宇宙というのはすばらしいのかもしれないが、先にあれだけ食っちゃうと、やっぱりちょっと考えてしまう。宇宙飛行士ってのは、いくつもの過酷な訓練に耐えなければならないと聞くが、その中でもあの宇宙食に慣れるってのが、もしかしたら一番過酷な訓練なんじゃないだろうか。
このあたりは、食べ物というのが、本来味よりも栄養をメインに考えるべきだ、ということの見本なのかもしれないが、そういう見本はあまりうれしくない。ひょっとすると、いつまでたっても宇宙旅行がポピュラーにならないのは、食べ物のせいなのかもしれない。乗客に提供する食事があまりにひどくて、このまま一般の人を乗せると苦情が来るだろう、ということで、おいしい宇宙食が開発されるまで、先延ばしにされているのかもしれない。って、ひょっとしてこれって、NASAの最高機密でした?(笑)。例によって、わたしが謎の死をとげたら、これはNASAの最高機密だった、ということで。
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