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[ 小説のようなモノの書き方 ]
書くための練習のようなモノ
読みにくい文章を書く

99.02.22

 読みやすい文章を書く練習のひとつとしてわたしが提案したいのは、意識して読みにくい文章を書いてみる、というものです。なんでこんなことを考えたのか、というと、読みやすい文章というのがどういうものなのか、ということを説明するのは難しいけれど、読みにくい文章というのがどういうものなのか、ということを説明するのは、比較的楽だから、というきわめてわたし中心の考え方なんですが。  
 ちなみに、この項は「文章を小説っぽくする」の中の「読みやすい文章を書く」と連動していますので、そちらもあわせてご覧ください。  
 
 さて、読みにくい文章とはどういうものか、という定義ですが、ここではとりあえず「一読して意味がつかみにくい文章」ということにさせていただきます。  
 読んでもすんなり頭に頭に入って来ない文章というのは、結構あるものです。  
 
 まず、単純に読みにくい文章として、ひらがなばかりの文章というのがあげられます。まあ、読み手が幼稚園児だったり、小学校の低学年の場合は、ほとんどひらがなにしておかなければ、読むことはできないでしょうが、そうでない場合には、すべてがひらがな、というのは、かなり読みにくい文章になります。もっと読みにくいのは、カタカナばかりの文章ですが。  
 では逆に、漢字ばかりの文章が読みやすいか、というと、中国人ならいざしらず、日本人の場合にはやはり、漢字ばかりでも読みにくくなります。そこはそれ、やはり適度な漢字の量というのはあるはずなんですが、これは実に、書き手、読み手の好みと漢字力によりますから、これがベスト、ということはいえないと思います。  
 で、漢字ばかりの文章は別にして、ひらがなばかりの文章というのは、練習なんぞしなくても書けるでしょうから、これは別に練習する必要はないでしょう。  
 漢字ばかりの文章にしても、誤字や当て字を使ったのでは意味がありませんから、これはかなり難しい。まあ、明治時代のころから昭和初期にかけての文章なんかは、「是」とか「此れ」、「此処」とか「此所」なんてぇ漢字を使ったりしてますから、このあたりを参考にして、読みにくい文章を書いてみてください。  
 こういった場合、ワープロならば、あまり漢字を知らなくても、ちゃんと変換してくれますから、けっこう楽です。  
 
 次に意味がつかみにくい文章とはどんな文章か、ということですが、まず筆頭にあげられるのは、なんといっても長い文章。句点(。)が一度も出てこないで、原稿用紙一枚まるまる使っているような文章は、非常に読みにくいはずです。  
 逆に、短い文章なら読みやすいか、というと、やたら短い文章ばかり並べられても、読み手には辛いものがあります。つまり、読みやすい文章には、それなりの適度な長さがある、ということになりますが、それがどのぐらいの長さなのか、ということは、わたしの能力ではわかりかねます。  
 句点だけではありません。読点(、)がまったく出てこない長文というのも、非常に理解しにくくなります。有名な「ここではきものを脱いでください」という文章。あれですね。  
 ただこの、「ここではきものを脱いでください」という文章は、読点を使わなくても、意味を取りやすくする方法があります。  
 
 「ここで履き物を脱いでください」  
 「ここでは着物を脱いでください」  
 
 ね、これだけでわかるでしょ。  
 これは、「ひらがなだけでは読みにくい」という例と、「句読点がないと読みにくい」という例の、両方の参考になると思います。  
 
 句読点抜きの文章というのは、意識して句読点を入れないようにすればいいわけですから、これはやってみればすぐできます。  
 できあがった文章を自分で読むと、これがまたわけがわからなくて、なかなか楽しいものです。これに後から、書いたときのことを思い出しつつ、句読点を入れていけばいいわけです。  
 場合によっては、自分の文章でなくてもかまいません。好きな作家、読みやすいと思う作家の文章を、とりあえず句読点なしでそのままワープロに打ち込んで、あとから自分なりに句読点を入れてみる、という手もあります。その場合は、句読点以外は、必ずすべて元の文章通りに入力してください。  
 この方法は、漢字の配分の練習にも利用できます。その場合は、句読点はちゃんと入れて、ただし漢字への変換は一切しないで、ワープロに入力します。で、入力したその文章を見ながら、自分なりに、漢字にした方がいいと思う単語を漢字に変えていけばいいわけです。  
 どちらの場合も、できあがったものと、参考にした元の文章が、同じである必要はありません。できあがったものが、あなたの文体、ということになります。同じである必要はありませんが、少なくとも参考にしよう、と思った文章なのですから、それに近づく感性を養うように努力をするのは、無駄ではないでしょう。  
 
 長い文章を書く練習方法としては、とにかくひたすら、長い文章を書いてみるほかには、手はないと思うのですが、その場合に注意しなければならないことがあります。意味のない単語の羅列や、同じような意味になる単語を並べるだけでは、練習にはならない、ということです。つまり、  
 
 「わたしは、ただひたすら、ずっと、永遠に、何がなんでも、どんなことをしても・・・」  
 
 てな文章は、書くだけ無駄です。  
 そうはいっても、ド素人の場合には、いきなり長い文章を書くのは、かなり辛いものがあるでしょう。そこで、やり方のひとつとして、単語を少しずつふやしていく、という方法をとってみましょう。  
 たとえば、こう。  
 
 花。  
 バラの花。  
 赤いバラの花。  
 夕陽のように赤いバラの花。  
 荒野に沈む夕陽のように、赤いバラの花。  
 果てしない荒野に沈む夕陽のように、赤いバラの花。  
 以前見た映画に出てきた、果てしない荒野に沈む夕陽のように、赤いバラの花。  
 
 なにも、前に追加するばかりが能ではありません。後ろにも追加してみましょう。  
 
 花。  
 花が咲いた。  
 花が咲いたので、摘んできた。  
 花が咲いたので、摘んできて花瓶に生けた。  
 花が咲いたので、摘んできて花瓶に生けたら枯れた。  
 花が咲いたので、摘んできて花瓶に生けたら枯れたので、捨てた。  
 
 ふたつをあわせてみましょう。  
 
 以前見た映画に出てきた、果てしない荒野に沈む夕陽のように赤いバラの花が咲いたので、摘んできて花瓶に生けたら枯れたので捨てた。  
 
 これ、やってみると結構しんどいものがありあます。この例では、何の意味もない文章を書いていますが、ちゃんと意味のある文章で長いダラダラした文章を書くのは、実に難しいことです。しまいには、自分の語彙のなさやイメージの貧困さに、情けなくなってくる可能性もありますが、この練習は、そいうったイメージや語彙を増やしたり、頭の奥の方に隠れているそいつらを、無理矢理引っ張り出してやる、ということの練習にもなりますので、まああまりムキにならずに、のんびりとやってみましょう。  
 
 さて、意味のない文章ではなく、意味のある長い文章を書け、といいましたが、ではどうやったら意味のある長い文章が書けるのでしょう。これは最初にある程度意味のある短い文章を用意して、それに説明を盛り込んでいけばいいんです。たとえば、  
 
 「彼がわたしの方に走って来た」  
 
 という文章の中に、彼を説明する部分と、わたしを説明する部分、それに走り方を説明する部分を全部入れちゃえばいいわけです。  
 
 「昨日結婚したわたしの姉の亭主であり、わたしにとっては大学時代の恩師でもある彼が、徹夜明けで髭も剃っておらず、髪もぼさぼさで疲れきった顔をしているはずのわたしの方に、何か楽しいことでもあったときの彼特有の癖でもある、間の抜けたスキップのような足取りで走って来た」  
 
 これは、やろうと思えば、「昨日の結婚式」の説明や「わたしの姉」の説明、「大学」の説明や「徹夜」した理由なんぞを盛り込んでいけば、原稿用紙一枚ぐらいはかせぐことができます。場合によっては、それだけで原稿用紙三十枚ぐらいにして、しかもちゃんとした内容になっていれば、それはそれでひとつの小説になっている可能性もあります。それだけのものが書けたら、それはそれでひとつの才能である可能性もありますから、意欲のある方は、挑戦してみてもいいかもしれません。結果については責任持ちませんが。  
 
 実はこの手の、読みにくい文章の参考文献、というのがありまして。  
 コンピュータ関係の、少し難しい本を開いてみてください。できれば、日本人の書いたものよりも、外国人が書いたものの翻訳本の方がいいのですが。結構意味不明でダラダラした文章が載っていると思います。ね、いい参考になるでしょ(笑)  
 これにはもちろん、理由があります。  
 英語には、関係代名詞という便利な、というか厄介な機能があって、これを使えば、さっきの「彼がわたしの方に走ってきた」の例のようなことがいくらでもできるんですよ。しかもひとつの文章で。  
 コンピュータ関係に限らず、翻訳ものの専門書にその手の文章が多いのには、理由があります。まず、翻訳している人が、その分野に関しての専門家である、ということ。つまり、本人は内容が理解できてしまっているので、読者にも理解できると思ってしまうってことですね。つぎに、その分野では専門家で、英語も理解できるかもしれないが、日本語で内容を伝える能力に乏しい可能性がある、ということ。つまり、英語を直訳することはできても、わかりやすい日本語にすることができないって場合。  
 まあ、ここではあまり関係ありませんが。  
 
 さて次に、長い文章と近い内容になってしまうのですが、関連する語が遠くにある文章というのも、理解しにくい文章です。  
 たとえば、「誰が何をした」という文章で、「誰が」と「何を」の間に別の文章を挟みこんでしまうと、非常に意味が通りにくくなります。たとえば、  
 
 「わたしは、今朝になってから腹が立ってきて、昨日の晩どこで何をしていたのか、かなり強い口調で、疲れた顔で帰ってきた彼に聞いた」  
 
 これはまず、  
 
 「わたしは彼に聞いた」  
 
 という短い文章を用意します。これに、先ほどの練習にもあった、「わたし」を説明する語句を後ろに入れて、「彼」を説明する語句を前に入れた例です。そのせいで、「わたし」と「彼」の間が離れてしまい、したがって「わたし」と「聞いた」が離れてしまったわけです。  
 
 こういう読みにくい文章というのは、ほかにもいくつかパターンがあるはずですから、これからも時々、ここで紹介してみましょう。で、みんなでがんばって、読みにくい文章を書く練習をしていきましょう!(笑)  


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