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[ 小説のようなモノの書き方 ]
推敲
同じ語句の使用

1999.05.10

 「文体の統一」では、「文末の統一」というはなしをしました。ここでは、その舌の根も乾かないうちに、逆のことをいいます。  
 つまり「文末をそろえてはいけない」と。  
 じつはこれ、一見逆のことをいっているように見えますが、まったく別のことをいってます。ここでいう「文末の不統一」というのは、同じ終わり方をする文章を繰り返してはいけない、という意味です。これをやってしまうと、子供の作文のようになってしまいます。つまり、  
 
 朝七時に目が覚めました。なんとなく、おかしな気がしました。いつもはにぎやかなのに、やけに静かな気がしました。部屋を出てみましたが、家の中には誰もいませんでした。  
 
 この文章は「です・ます」と「である」が混じっているわけではありませんが、文末がすべて「した」で終わっています。この文章を読んで「すばらしい文章だ」と思った方は、もっとたくさんの文章を読んで、目を肥やすことをおすすめします。  
 これと同じようなことで、同じ文頭の繰り返し、というのもあります。  
 ありがちなのが、「だが」とか「しかし」とか「だから」「そして」などを無意識に繰り返してしまうことです。  
 ただ、どうしても、二度続けて否定の文章が出てきたり、前の文章を継承する文章が二回続けて出てきたりすることは、あると思います。そういう場合には、意識して同じ単語を使わないようにしてください。  
 「だが」で始まる文章のあとに、同じように否定で始まる文章が来る場合には、同じ「だが」を使わずに「しかし」を使うとか、「ところが」にしてみるとか。単語はやまほどあります。自分の語彙を総動員して、がんばってみましょう。ただし、あんまりやりすぎるとくどくなりますから、注意してください。  
 この手の問題は、じつは「あきらかな誤り」ということにはなりません。ただ、見た目をより小説っぽくするためには、こういう部分に注意することも、必要になってくるのです。  
 もっとも、慣れてくれば、書きながら文頭や文末を変えることぐらい、比較的簡単にできるようになりますから、そうなれば、推敲のときには、ついうっかり、というのをチェックすれば済むようになりますが。  
 とはいえ、最初のうちは、あまりそんなことを意識していると、筆が進まなくなりますので、書いているときにはあんまり意識しないで、推敲のときに知恵を絞るようにしましょう。  
 と、ここまでのの三段落は、意識して否定の文章や、否定で始まる文章を続けてみました。苦労の跡が見えますか? 見えちゃ困るんですけどね、ホントは。  
 まず「この手の問題は」で始まる文章は、意識して文頭に否定の単語を持ってこないようにしました。次が「ただ」で否定しています。その次は「もっとも」、そのあとが「とはいえ」と、どれも前の文章の否定から始まっていますが、意識して文頭を変えています。これは逆に、意識すれば全部同じ文頭にすることもできる、ということです。  
 ためしにやってみましょうか? 面倒なのでやめときましょう。自分でやってみてください。  
 さて、文頭、文末のほかにも、同じ表現の繰り返しは避けた方が良い、というのもあります。これも、「絶対!」ということではありませんが、ちょっと気をつけるだけで、文章が小説っぽく見えることうけあいです。  
 この問題に関しては、「意図的に同じ表現を繰り返す」という手法もありますので、一口に説明するのは難しいのですが、たとえば、セリフの後に「と、彼は言った」などと必ずつけると、だいぶ陳腐な感じになってしまうのはわかると思います。  


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