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映画「ゲーム」 |
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1998.02.28
「衝撃のラスト!」というあおり文句を、わたしはあまり信用しません。普段ほとんど映画を見ていないならともかく、ヒッチコックの「サイコ」を見たことがあり、「13日の金曜日」の一作目を見たことがあり、「猿の惑星」を見たことがあり(これはそれほど衝撃的じゃぁなかったけど)、「ダーティー・ハリー」の一作目を見たことがあれば、今時ほとんどの映画のラストは、たいした衝撃ではありません。 というよりも、お話しのようなモノを考えるのを趣味にしている人だったら、宣伝文句に「衝撃のラスト」なんて書かれたら、その映画を見ているあいだずっと、「ラストはこうかもしれない」とか「いや、この展開だとこうなるかもしれない」などと、ずっと考え続けていますから、ラストシーンを見るころには、頭の中に五つや六つのパターンが出来上がっていることでしょう。 そういった事情で、わたしは「セブン」のラストは衝撃的だとは思わなかったんですが、この「ゲーム」についていえば、違う意味で衝撃的でした。 ということで、例によってネタばらしをやりますので、まだ観ていない人は、ここから先は読まないでください。読んでもいいけど、責任は取りません。 大富豪で投資家の主人公は、子供のころに父親の投身自殺の現場を見てしまった、という過去を持っています。主人公は、父親が自殺した年齢と同じ48歳の誕生日に、疎遠になっていた弟から「CRS」と書かれたカードをもらい、正体不明の「ゲーム」に参加したために、謎の事件に次々と遭遇します。これは一体現実なのか、夢なのか。本当に「ゲーム」の一部なのか? 「CRS」というクラブは、いったいなんなのか? 主人公だけでなく、見ている側にも、ラストまで事実はまったく明かされません。それはそれで問題ないんです。ただ、主人公にとって、父親の自殺を目撃したことが、大きな心の傷になっていることとか、自分の年齢が父親が死んだ時の年齢と同じになったことに対する悩みとかいったことが、ちっとも伝わってこないんですね。だから、ラストに「全てが本当にゲームであり、全ての関係者は演技をしていたのだ。主人公の心の傷と悩みを解消するための、ショック療法だったのだ」、という事実がわかった瞬間に、「そこまでやる必要があったのか?」と思ってしまいます。それに加えて、それまでの内容に疑問も生じてきます。 たとえば「途中で撃ちまくっていたマシンガン、あれは空砲だったのかどうか」という点。確かに、逃げている最中は、ほとんど謎のウェートレスが先を走っていましたから、事前に逃げるコースを決めておき、道の途中に着弾のしかけ(撃った弾がどこかに当たったように見せるしかけ)を施しておくことはできたでしょうが、それにしたって、少し無理がある。実弾だったとしたら、主人公を殺す可能性もあったわけだし。 それに、映画の中では、明らかに主人公が見ていない場面でも、関係者がはっきりと演技をしているんですよ。たとえば、CRSのガードマンが、犬と一緒に車から降りて来るその直前。どう考えても、あのシーンは主人公の目は届いていない。にもかかわらず、ガードマンは不審人物を追う目をしてるんですね。 これはすべて、演出のミスとしか思えない。 映画を見ている側にも、主人公と同じ気分を感じさせようとしたのでしょうが、そのために、逆に観客に対してフェアでなくなってしまっている。 すべてを主人公の目から見たものとして表現していれば、ラストで事実がわかったときにも、違和感は感じなかったでしょう。 こういうとき、小説は有利ですよね。一人称で書いておけばいいんだから。詳しいことはこちらを参照のこと。 ラスト直前にも問題があります。 ラストでは、主人公がビルの屋上から飛び降ります。関係者の一人は、「きみが飛び降りなかったら、わたしが突き落とすはずだった」と言っていますが、ここにも問題がある。いや「突き落とすはずだった」というのは問題ないんです。逆に、その方がまったく問題がない。問題なのは、主人公が自分の意志で飛び降りた、ということ。あの時彼が、あの位置から飛び降りていなかったら、いったいどうなっていたのでしょう? あと数メートル右か左にずれていたら。もしかしたら、その場合も、何らかの形で適切な位置に誘導していたのかもしれませんが、映画のそのシーンを見る限り、それが間に合うような状況にはない。 あのまま主人公が死んでしまったら、どうするつもりだったんでしょう? わたしは、この作品のラストが「違う意味で衝撃的だった」と書きましたが、それはつまり、この映画をみているあいだにわたしが「これだけは絶対にないだろう」と思ったふたつのオチの一方に非常に近いオチだったからです。わたしが「これだけは絶対にないだろう」と思ったふたつとは、 ・夢オチ(実は全てが夢もしくは催眠術で見せられた幻だった) ・拍手オチ(最後に、関係者全員が現れて「いやあ、おみごとでした」と拍手する) ただ、この映画、たしかに複雑で、映画館で一度見ただけでは、評価しづらいものがあります。例えば着弾の件にしても、関係者の態度にしても、そうとわかっていて見るのと、わからずに見るのとでは、あきらかにこちらの見方が違いますから。だからといって、もう一度映画館で見る気は起こりません。ビデオになったら、再度見て、もう一度感想文のようなモノを書いてみましょうか。 |
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