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[ 小説のようなモノ ]
真冬のタンポポ
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2001.12.29

 真冬でも、天気の良い日のセントラルパークには、大勢の人がいる。散歩をする人、ジョギングをする人、北風に負けずに、ベンチや芝生に座って愛を語り合っているカップルもいる。  
 そんな光景を、彼は日差しの暖かいベンチに座って、ぼんやりと眺めていた。  
 四十代半ばに、すべてを捨てて日本を出てから、すでに十年が過ぎている。アメリカに渡って来たころに白くなり始めた彼の髪も、今では肌の色が目立つようになっていた。それを隠すために愛用しているソフト帽を目深にかぶり、彼は握りしめたエアメールに目を落とした。  
 日本を発つとき、彼はすでに結婚していたし、十三歳になる娘もいた。しかし彼は、自分の夢を追うために、すべてを捨てて日本を出る決意をしたのだった。妻とは別れ、親権も、ほとんどなかった財産もすべて彼女に譲って、ただ一人でアメリカにやって来たのだ。  
 今朝届いたエアメールは、その別れた妻からのものだった。時候の挨拶も近況報告もなく、用件だけを書いた質素な手紙だ。すでに何度も読み返したその手紙を、彼は握り締めたままじっと見つめた。今年二十三歳になる娘が結婚するという。  
 この十年間がむしゃらに働いて来た彼だったが、日本に残して来た娘のことを忘れたことは一度もなかった。だが、悲しいことに、彼が覚えている娘は、十年前の幼い娘のままだったのだ。自分が歳をとるように、娘も歳をとるのだということを、忘れていたわけではない。だが、もうそんな歳になったのかと思うと、おかしな気分だった。  
 しかも娘は、彼が式に出席することを望んでいるという。十年間、何の面倒も見て来なかった彼だが、娘は父親と認めてくれていたのだ。それが彼にはうれしかった。ぜひ娘の花嫁姿を見てみたかった。  
 だが、現実には、それもかなえられない夢に終わった。  
 エアメールが彼の元に届いたのは、今日の朝だった。しかし、そこに書かれた娘の結婚式の日取りは、二日も前のものだったのだ。元妻は、なぜエアメールを使ったのだろう。電話でもEメールでも連絡は取れたはずなのに。  
 おそらく彼女は、娘の結婚式に彼が出席することには反対だったのだろう。娘は彼のことを父親だと思ってくれていても、元妻は自分と娘を捨てて勝手にアメリカに渡った彼のことを、自分の娘の父親だとは認めたくなかったのだろう。だが、娘の手前、連絡をとらないわけにはいかなかった。だから、わざと間に合わない可能性のあるエアメールで、ぎりぎりになってから伝えてきたのだろう。  
 だからといって、彼女を責めるつもりは、彼にはなかった。もしも自分が彼女の立場だったとしても、おそらく許すことはできないだろう。  
 彼は立ち上がると、近くにあったくずかごに、握り締めていた手紙を投げ入れた。十年前に日本に捨ててきたはずのものを、今ごろになってやっと、本当に捨てることができたような気がした。  
 と、何か白いものが、彼の目の隅にとまった。見ると、それはタンポポだった。真冬だというのに、力強く地面に葉を広げたタンポポが、くずかごの横で木枯らしに吹かれて、白い綿毛をかすかに揺らしていたのだ。  
 彼にはその綿毛が、娘の花嫁衣裳の綿帽子に見えた。白無垢と白い綿帽子に身を包んだ娘の姿が、目に見えるようだった。現実には見ることができなかった、そしてもう二度と見ることができない、一人娘の晴れ姿を、彼はタンポポに重ねあわせていた。  
 幸せになって欲しい。そう思いながら、彼は公園を後にした。タンポポの綿毛が風に飛ばされないように、かぶっていた帽子をそっとかぶせて。  


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