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[ エッセイのようなモノ ]
中級ギャグ講座

2006.01.23

 何回か前に、干支の話を書いた。いや、最終的には干支とは何の関係もない話になっているが、とっかかりは干支だった。  
 その冒頭近くで、今、この文章を読んでいる人のうち、いったい何人が「ねぇうしとらうぅたつみぃ……」と、干支を最初から唱えただろう? と書いた。  
 その後、よくよく考えてみたら、中には違うことを考えた人もいるかもしれない、ということに思い当たった。  
 話題が干支だけに「え〜と」と言った、もしくは考えた人が、少なからずいるはずなのだ。いや、隠してもわかる。あなたもそのうちの一人のはずだ。謙遜する必要はない。あなただって、ダジャレを考えたはずだ。  
 今の日本では、「干支」と聞いて「え〜と」などと発想するのは、オヤジギャグとして軽視されることが多いかもしれない。  
 だがしかし、ダジャレの効用については、世界健保機構(WH0)が3005年の10月に発表した「大脳生理学に基づいた、ダジャレが肉体に及ぼす効果とそのメカニズムに関する検証報告」によれば、一日のうちにダジャレを言う回数は、知能指数とはほぼ比例状態にあり、逆に発ガン率とはおおむね反比例状態にあるという。つまり、ダジャレを多く言う人は知能指数が高く、また発ガン率も少ない、ということだ。  
 また、世界中で、百歳を超える人のうち、なんと98%もの人が、日常ダジャレを連発しているのだそうだ。余命数ヶ月と診断されていた重病患者が、ダジャレを連発することによって、数十年生き延びたという例も、少なからず報告されているらしい。  
 だとすると、コメディアンはみな知能指数が高く長命、ということになるはずだが、必ずしもそうではないということは、みなさんご存知の通り。では前出の検証報告に誤りがあるのか、というと、そういうことではない。コメディアンのみんながみんな、ダジャレを言っているわけではない、という事実があるからだ。必要なのは、ギャグやネタではなく、ダジャレなのである。  
 この検証報告の中に記載されている定義によれば、ダジャレとは「ある単語と、その単語と音がまったくまたはほぼ同一の別の単語を、ひとつの文脈中もしくは会話の中で同時または連続して使用することにより、その文脈もしくは会話があたかも成立したように思わせることで発生する、意外性あるいは非意外性から笑いを誘発しようとする行為、またはその文脈のことを言い、その結果として笑いの発生を伴うことを理想とするが、発生するであろう笑いの大小あるいは笑いの有無に関しては本定義の範疇とはしない」ということになっている。  
 また、その効果の理由の一部として「ある単語に対し、その単語とまったくまたはほぼ同一の音を持つ別の単語を文脈もしくは会話の中で同時あるいは連続して使用するためには、現在の文脈もしくは会話の流れを継続しつつ俯瞰もしくは無視した視点での単語の検索および選択が必要であり、その際の脳内活動には記憶想起・文法認識・平行思考・文脈理解による展開予想に伴う想像性などがあり(以下引用省略)」という記載もある。これはつまり、ダジャレを言うことは、言葉を駆使した、脳をフルに活用する高度な行為である、ということだ。  
 つまり「フォー」だの「武勇伝!」だののように、文法認識も記憶想起も平行思考も行わないギャグでは、それを何度繰り返そうとも知能指数が高くなることも長寿になることもないということである。  
 そういう意味では、同じダジャレを何度も繰り返して使用することも、脳を駆使しているとは思えないので、あまり意味がないような気がする。それに関しては、前出の検証報告の中で「同一の文脈または会話の展開における同一ロジック(検証報告の中ではダジャレをロジックと呼んでいる)の繰り返し使用による効果の有効性は、同一ロジックの使用回数のべき乗の百分率に反比例して減少していくが、ロジックによる笑いの誘発効率と効果の有効性には一連の関係性は存在しない」と記載されている。  
 これはすなわち、同じダジャレを繰り返すと、効果はどんどん薄れていくが、ウケたかウケなかったかは、効果には関係がない、ということ。つまり、どうせダジャレを言うのならば、一度ウケたからといって同じダジャレを繰り返すのではなく、たとえウケなくても、いろいろなダジャレを繰り出せ、ということだ。どんなにつまらないダジャレでも、数をこなすことで脳が活性化し、頭が良くなり長生きできるようになるのだ!  
 もちろん、世界健保機構などという組織は存在しないので、こんな検証報告は実在しない。文中の引用は全てデタラメなので、この結論も大嘘です。念のため。  



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