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出典: 小説のようなモノの書き方
推敲
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書いたものは、必ずチェックしましょう。誤字や脱字もそうですし、自分が言いたかったことが、ちゃんと書けているかどうか。わかりづらくないかどうか。そういうことにも気をつけて、きちんと推敲しましょう。 書いたものを自分一人で楽しんで、他人には絶対に見せない、という場合でも、自分という読者に気持ちよく読んでもらうために、書いた自分が気持ちよくなるために。 推敲は必ずしましょう。 推敲もしていないような作品を他人に読ませてはいけません。いや、推敲前の作品を、誰かが勝手に読んだ場合は、それはしかたありませんが。少なくとも「読んでね」と誰かに見せる場合には、必ず推敲してください。 推敲というのは、いうなれば最後の仕上げですから。 ==何をすればいいのか== 小説のようなモノを書き上げて、「さあできた。これでおしまい」と思っても、実際にはそれで終わりではありません。 いや。書くだけ書いて、あとは捨てちゃう、というのなら、それでもべつにかまいませんが。通常は、書いたものは誰かに読んでもらいたくなるものです。恥ずかしいから、誰にも見せない、という場合でも、少なくとも自分で読み返して、ひとりニヤニヤすることぐらいあるでしょう。 で、他人に読ませるにしろ、自分ひとりで楽しむにしろ、どうせなら完璧に近い状態に持っていきたいものです。まあ、ド素人が書いたモノですから、内容が完璧になるには、かなり時間がかかるでしょう。だから余計に、つまらないミスなんぞは、なくなるように心がけたいものです。 そこで、推敲。 本来「推敲」とは、「字句を練り上げること」なんだそうです。つまり、「ここはこの表現でいいだろうか」とか「文章がおかしくなってないだろうか」とか、「理解しにくくないだろうか」ってなことを考えることのようですが、一般的には、誤字脱字誤変換や、文体の不一致、時制の不一致、不明瞭な文章などに注意することになっています。たぶん、ほかにもあるでしょうが。 「校正」ってのとどう違うか、というと、「校正」というのは、「文字の誤りをくらべ正すこと」ってことで、一般的には原稿と印刷物を比べて行うような感じのようです。まあ、出版業界でどう使い分けているかは、わかりませんが、辞書によるとそんな感じ。誤字脱字や誤変換が、どっちに入るのかは実はよくわかりません。「文字の誤りを」という部分を取ると、「校正」の方に入りそうな気もしますが、「原稿と比べて」って部分で、「推敲」に入りそうな気もしますし。 とりあえずここでは「推敲とは、書き上げた原稿に不備がないかどうかをチェックすること」と定義づけさせていただきます。 1999.05.10 ==いつ、どうやるか== で、まず推敲それをいつやるか、ということです。 通常は、作品を書き上げてからやることになっています。長い作品の場合、とりあえず一章毎にやるとか。ある程度の区切りでやる。 場合もあるでしょう。 大長編を、一晩で一気に書き上げるような場合は別にして(って、プロだってそんなことはしませんが)、普通は一日に書ける枚数なんて、たかが知れてます。一日に原稿用紙で何枚書けるかは別にして、ド素人の場合は、原稿用紙十枚分ほどたまったら、とりあえずそこまでのなかみをチェックしてみた方がいいでしょう。 何か大きな間違いに気づかずに、一気に百枚書いてしまってから、あとで修正する、というのは、結構しんどいものです。誤字や誤変換のように、ワープロの一括変換機能を使って、簡単に修正できるものもあるかもしれませんが、考えながらやらなければならないミスの場合、後になってからでは手遅れになることもありますから。 少し慣れてきたら、チェックをする枚数を大目にしてもいいでしょう。 ただし。気をつけなければいけないのは、あまり短いスパンでチェックをしてはいけない、ということ。 原稿用紙一、二枚毎に、前に戻って細かいチェックをしていては、先に進めなくなってしまいます。できれば、最低でも五枚ぐらい溜まってから、始めるようにしてください。 あんまり過去ばかり振り返るのは、やめましょうよ(笑) チェックする項目としては、基本的には「[[見た目を小説っぽくする]]」や「[[文章を小説っぽくする]]」を見ていただいて、そこに書いてあることに注意していただければ、まあなんとかなるでしょう。 ただ、それ以外にもいくつかありますので、以降の各項で少し紹介しておきましょう。 次に、どうやるか。 どうやるか、って、書いたモノを読み返しゃあいいんですけどね。ただ、単純に楽しんで読み返しちゃいけないのは、おわかりいただけると思います。 注意するべき項目は、いろいろあるわけですが、ただ単純に読み返すだけでは、気をつけなければならない点に、気がつかない可能性もあるわけです。 よくいわれるのが、紙に印刷して、それを使え、ということでしょう。たしかに、ワープロの画面で、横書き表示されている文章を読むよりも、紙に縦書きで印刷されている文章を読んだほうが、誤りには気づきやすいようですから、その方法が一番のおすすめです。ただ、ペーパーレスとか、エコロジーの観点から、紙を無駄に使いたくない、という考え方の人もいらっしゃると思います。そういう場合は、ワープロの表示を縦書きにして、できるだけ原稿用紙や、印刷された本のイメージに近い状態でやるようにしてみてください。 横書きの文章を読んでいたときには気づかなかった誤りに、結構気づくことがありますから。 それから、これは絶対に、ということではないのですが、できれば、推敲前の原稿と推敲後の原稿は、両方とも残すことをおすすめします。文章を書くことに、ある程度慣れている方ならば、気にする必要はないと思いますが、文章を書きなれていない人は、試行錯誤を繰り返すわけですから、前の文章が残っていた方が、勉強になります。 自分の成長の記録にも、なりますしね。 1999.05.10 ==文体の統一== 「[[文章を小説っぽくする]]」でも説明しましたが、文体には大きくわけて「です・ます調」と「である調」のふたつがあります。 一般に「ちゃんとした大人」といわれる人は、通常の会話のときには、この「です・ます」と「である」を無意識のうちに使い分けています。自分より目上の相手や、あまり親しくない相手の場合は「です・ます」を、目下の相手や親しい相手には「である」を使います。もちろん、中にはすべての相手に「です・ます」を使う人もいるでしょう。逆にすべての相手に対して「である」を使う人の場合、小さな子供でない限り、顔をしかめられてしまうのが実状です。 ところが、この「無意識のうちの使い分け」が、小説のようなモノを書いているときに出てしまうと、困ったことが起きます。 ずっと「です・ます調」で書いていたのに、なにかの拍子に「である」が出てきてしまったり、ずっと強い調子で書いてきたのに、書いている内容に自信がなくて、その自信のなさが「です・ます」となってあらわれたり。 理由はいろいろあります。 ただなんとなくそうなってしまった、ということが一番多いでしょうか。 この「ただなんとなく」は、小説のようなモノを書く場合には、できるだけなくした方がよい状態です。 「です・ます調」で書き始めた文章は、最後まで「です・ます調」でなければなりません。一個所でも「である調」が出てくると、小説っぽさがなくなってしまいます。 推敲のときには、その点に十分気を配ってください。 ちなみに、このホームページは<A HREF="../essay/index.cgi?TYPE=Y">「エッセイのようなモノ」</A>以外は、すべて「です・ます調」を使用するように心がけています。ただ、ここでいってしまうと問題があるのですが、あんまりちゃんと推敲をしていないので、ところどころおかしい部分もあると思います。だから、おかしな部分を見つけたからといって、文句を言ってきたりしないように。「ここ、おかしいよ」と教えていただくのは大歓迎ですが。 特に<A HREF="../essay/index.cgi?TYPE=Y">「エッセイのようなモノ」</A>を書いたすぐあとに<A HREF="../kanso/kanso.cgi?TYPE=Y">「感想文のようなモノ」</A>を書いたりすると、気がつかないうちに「である」になっていたりして、修正に苦労することがよくあります。 自分で書いてみればわかるとおもいますが、「です・ます」から「である」への修正(あるいはその逆)は、ただ単純に入れ替えればいい、というものではありません。 ためしに、この項の最初の部分を、「である調」に変えてみましょうか。 :「[[文章を小説っぽくする]]」でも説明したように、文体には大きくわけて「です・ます調」と「である調」のふたつがある。 これは、ある程度は練習が必要になる書き換えだと思います。 自分の文章でも、他人の文章でもかまいませんから、「です・ます」を「である」に変えたり、「である」を「です・ます」に変えたりして、遊んでみるのも練習になるでしょう。 1999.05.10 ==誤字== ワープロを使って文章を書く場合に、一番多い誤りは、誤変換でしょう。さすがに、 「入れた手のお茶」 などという変換ミスは、すぐにわかりますから、問題はないのですが、同音異義語の場合が困ります。これも最近では、変換ソフトがかなり頭がよくなって、前後の文脈から正しい漢字に変換してくれるようですが、それでもやっぱり間違いは発生します。 わたしの場合、長い文章を一気に入力してから、まとめて変換しようとすると、前の方で変換の誤りがあった場合、そこまで戻らなければならなかったりして、そこで入力の流れが止まってしまっていやなので、比較的短い区切りで変換/確定を繰り返すようにしています。 ちなみに、この文章は以下のように入力しました。 :ちなみに、/この/文章は/以下の/ように/入力/しました。/ 「/」部分で変換または確定しています。少し短すぎるような気もしますが。半分は癖だもんで。 このような変換をしている場合、変換ソフトが前後の文脈から判断してくれる、というのは、あまり役に立たなくなります。 その場合は、自分の知識で判断しなければなりません。しかし、同音異義語の場合には、どれが正しい単語か、わからない場合もありますし、場合によっては、同じ読みでほかの単語があることを、知らない場合もあります。 よくいわれるのが「若干」と「弱冠」の違いです。一方が「少し」という意味で、一方が「二十歳・年の若いこと」という意味ですが、どちらがどちらか、わかりますか?実は、漢字の雰囲気から類推してしまうと、間違えることになりますので、注意してください。 こういう場合、やはり最後に頼りになるのは、辞書でしょう。辞書の中には、「同音異義語辞典」のようなものもありますから、それをひとつ、手元に置いておくことをお勧めします。「進める」と「薦める」と「勧める」と「奨める」の違いも、ちゃんとあります。 ちなみに、わたしはちゃんと理解してませんが。 誤変換に近い誤りで、意味の上でおかしくなる変換というものもあります。 たとえば、男性の顔に生えるヒゲですが、生える位置によって「髭」「髯」「鬚」と三種類あります。これをいいかげんに使ってしまうと、同じ登場人物のヒゲが、あるときは鼻の下にあり、あるときは顎にありと、おかしなことになってしまいますので、注意してください。 誤字ではないのですが、変換漏れというのもあります。 ある場所では「ある程度」と書いてあるのに、べつの場所では「あるていど」と書いてあったりするのは、統一が取れていません。全体を統一するためにも、こういうミスがないように心がけましょう。いや、自戒の意味もこめてます。 1999.05.10 ==同じ語句の使用== 「[[文体の統一|文体の統一]]」では、「文末の統一」というはなしをしました。ここでは、その舌の根も乾かないうちに、逆のことをいいます。 つまり「文末をそろえてはいけない」と。 じつはこれ、一見逆のことをいっているように見えますが、まったく別のことをいってます。ここでいう「文末の不統一」というのは、同じ終わり方をする文章を繰り返してはいけない、という意味です。これをやってしまうと、子供の作文のようになってしまいます。つまり、 :朝七時に目が覚めました。なんとなく、おかしな気がしました。いつもはにぎやかなのに、やけに静かな気がしました。部屋を出てみましたが、家の中には誰もいませんでした。 この文章は「です・ます」と「である」が混じっているわけではありませんが、文末がすべて「した」で終わっています。この文章を読んで「すばらしい文章だ」と思った方は、もっとたくさんの文章を読んで、目を肥やすことをおすすめします。 これと同じようなことで、同じ文頭の繰り返し、というのもあります。 ありがちなのが、「だが」とか「しかし」とか「だから」「そして」などを無意識に繰り返してしまうことです。 ただ、どうしても、二度続けて否定の文章が出てきたり、前の文章を継承する文章が二回続けて出てきたりすることは、あると思います。そういう場合には、意識して同じ単語を使わないようにしてください。 「だが」で始まる文章のあとに、同じように否定で始まる文章が来る場合には、同じ「だが」を使わずに「しかし」を使うとか、「ところが」にしてみるとか。単語はやまほどあります。自分の語彙を総動員して、がんばってみましょう。ただし、あんまりやりすぎるとくどくなりますから、注意してください。 この手の問題は、じつは「あきらかな誤り」ということにはなりません。ただ、見た目をより小説っぽくするためには、こういう部分に注意することも、必要になってくるのです。 もっとも、慣れてくれば、書きながら文頭や文末を変えることぐらい、比較的簡単にできるようになりますから、そうなれば、推敲のときには、ついうっかり、というのをチェックすれば済むようになりますが。 とはいえ、最初のうちは、あまりそんなことを意識していると、筆が進まなくなりますので、書いているときにはあんまり意識しないで、推敲のときに知恵を絞るようにしましょう。 と、ここまでのの三段落は、意識して否定の文章や、否定で始まる文章を続けてみました。苦労の跡が見えますか?見えちゃ困るんですけどね、ホントは。 まず「この手の問題は」で始まる文章は、意識して文頭に否定の単語を持ってこないようにしました。次が「ただ」で否定しています。その次は「もっとも」、そのあとが「とはいえ」と、どれも前の文章の否定から始まっていますが、意識して文頭を変えています。これは逆に、意識すれば全部同じ文頭にすることもできる、ということです。 ためしにやってみましょうか?面倒なのでやめときましょう。自分でやってみてください。 さて、文頭、文末のほかにも、同じ表現の繰り返しは避けた方が良い、というのもあります。これも、「絶対!」ということではありませんが、ちょっと気をつけるだけで、文章が小説っぽく見えることうけあいです。 この問題に関しては、「意図的に同じ表現を繰り返す」という手法もありますので、一口に説明するのは難しいのですが、たとえば、セリフの後に「と、彼は言った」などと必ずつけると、だいぶ陳腐な感じになってしまうのはわかると思います。 1999.05.10
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