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ただ、これだけでは少々さみしい。わたしはさみしいと思っちゃうんです。もうちょっと複雑でもいいんじゃないか、と。 | ただ、これだけでは少々さみしい。わたしはさみしいと思っちゃうんです。もうちょっと複雑でもいいんじゃないか、と。 |
以前にも書きましたが、お話し作りの手っ取り早い方法は、既存のお話しをパクることです。とはいっても、既にあるお話しをそのまま文章にするだけでは、おもしろくもなんともありません。そこで、既存のお話しをパクりつつも、多少はオリジナルのように見えて、なおかつ盗作だの二番煎じだのと言われる可能性が少なくなる方法を考えてみましょう。一番簡単なのは、既に大勢の人がパクっているお話しをパクる、という手です。みんながパクっている分、同じような話しが多数存在してしまうわけで、かなり比較はされちゃうでしょうが、その分あまり文句を言われることはないだろう、と(笑)。
たとえば「シンデレラ」。これは有名ですね。はっきりいって「シンデレラ・ストーリー」なんてジャンルのようなものも存在するほどです。そこで、ここでは「シンデレラ」をベースにして、お話しのパクり方を考えて見ようと思います。同じようなやり方をすれば、他の有名な作品もうまくパクれるはずです。
そして大事なこととして忘れないでおいていただきたいのは、既存のお話しを元にあれこれいじっているうちに、出来上がったものが、元のお話しとは似ても似つかぬものになる場合もある、ということです。もしかしたら「シンデレラ」をベースにしているのにもかかわらず、出来上がったお話しには、猿が一匹出てくるだけかもしれません(笑)。いや、猿じゃなくて毛虫でもなんでもいいんですが。その場合は当然のことですが、元のお話しに固執してはいけません。それどころか、どんどん発想を広げていって、元のお話しとはまったく違うものにしてしまうようなつもりで、色々と考えてください。大事なことはそれです。それがお話し作りなんです。
やりたいことは「シンデレラ」をとっかかりにして、新しいお話しを作り出すことなんですから。
2001.06.03
目次 |
さて、既存の作品をパクるわけですから、まず第一にやらなければいけないことは、その作品がどんな作品なのかを分析することです。ここでは「シンデレラ」をパクるわけですから「シンデレラ」というお話しがどんなお話しなのかを、分析する必要があります。
あらすじは、たぶんみなさんご存知だと思いますのではぶきます。作者はシャルル・ペローというフランスの人です。同じ作者で「長靴をはいた猫」なんて作品もありますね。まあ、作者ったって、昔からある民話のようなものを文章にまとめた、ってだけらしいですけど。ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、シンデレラというのは、主人公の本名ではありません。なんでも、灰まみれとか灰かぶりとかいうような意味だそうで、汚れまくっている主人公を見て、意地悪なお姉さんたちがそう呼んでいる、というわけです。
まあ、雑学はこんなもので良いでしょう。
で、分析ったって何をすりゃいいんだ、という話しですが。ここではまず次のことについて注目してみましょう。
実際には他に、テーマがどうのとか、モチーフがなんたらとか、そういうことも分析した方が良いのでしょうが、ここではそういうことはしません。そもそも、ここでやろうとしていることは、お話しの上っ面をパクろうということなんですから。奥の方にあるテーマなんぞは、考えないことにします。それに面倒ですし(笑)。
それから、分析というやつは、やればいくらでも細かくできるものですが、ここではあまり細かい分析はしないことにします。とりあえず、やりかたの大雑把な雰囲気だけつかんでいただいて、あとは自分でなんとかしていただこう、と。いや、面倒だからとかそういうことではないんですが(笑)。
ではまず、登場人物の分析です。
「シンデレラ」という物語に出てくる主な登場人物は、なんとわずかに四人なんですね。
王子様が「マドンナ」ってのは、納得いかないかもしれませんが(笑)。でもこの人、それ以外の出番がないんです。はっきりいって、主な登場人物からはずしちゃってもいいぐらいで。
実際には、継母の連れ子で意地悪なお姉さんたちとか、王子様の家来とか、馬に変えられちゃうねずみとか、他にも大勢出てきますが、ホントの意味での主な登場人物はこれだけ。意地悪なお姉さんたちなんて、仮面ライダーで言えばショッカーの下っ端の皆さんみたいなもんですから。
次にそれぞれの登場人物の性格設定です。
シンデレラは、外見も美しく心の優しい、誰からも(継母と姉たちを除く)好かれる、主人公の見本のような人物です。個人的には鼻について嫌いなタイプですが(笑)。ただし、あとで<A HREF="./howto.cgi?TYPE=Y&NO=08-005">「疑問を持ってみる」</A>でも書きますが、この人には単純な主人公にしてはちょっと人間臭いところがあるんですね。自分のお話しの中で使う場合には、そのあたりをどう処理するかで、お話しの内容も変わってくるでしょう。
一方継母は、外見はどうあれ、性格は最低で、悪役の見本と言えるでしょう。ところが、この継母にしても、一筋縄ではいかない部分があるだろう、と想像できるんです。それについても<A HREF="./howto.cgi?TYPE=Y&NO=08-005">「疑問を持ってみる」</A>で説明します。
魔法使いの性格は、実ははっきりしていません。しっかりものでもかまいませんし、ドラえもんのように、ちょっと抜けていてもかまわないんです。ただ、主人公を助けるだけの力を持っていれば良い、と。なお、この登場人物は、魔法使いではなく妖精という場合もあるようですが、ここではとりあえず魔法使いで押し通させていただきます。
王子様に関していうと、これは既に書きましたが、マドンナ以外の存在ではないんですね。そういう理由から、最低でも外見と性格は良くなければいけない。少なくとも、主人公があこがれるような立場になければなりません。王子という立場だけでは、主人公の目標としては弱すぎます。しかし、実際にシンデレラが王子様と結婚することを望んでいたのか、それともただ舞踏会に行きたかっただけなのか、という「主人公の動機付け」によっては、この人ほとんど出番のない人になっちゃうんです。王子との結婚を望んでいたのなら、主人公がそれを望んでしかるべき人物でなければなりません。
本当はもう少しやりたいところなんですが、登場人物の分析についてはこのあたりでやめておきましょう。興味を持たれた方は、続きはご自分でやってみてください。
まあ、この程度の分析でも「シンデレラ」の登場人物というのが、かなり単純というか、あまり奥行きのない性格をしていることはわかるでしょう。童話に類するお話しの場合、物語の内容もそうですが、登場人物の性格も単純なものの方が良いようです。あんまり複雑にしてしまうと、読む方が疲れてしまいますからねぇ。
次に物語の展開の分析です。
まずは大雑把に、「起承転結」の中で何が行われているかを見てみましょう。
少し細かく考えてみましょうか。
まず、主人公の立場とまわりの環境の説明があります。この場合、物語が始まったときには、主人公は不幸な立場にいます。実際には、物語が始まる以前の、幸せな時期もあるのでしょうが、このお話しではまずどん底からはじまります。どん底の状態ではありますが、主人公はそんな中でもしっかりと生きています。このあたりが、起承転結の起になります。
ここで主人公がいかに不幸な立場にいるか、この時点では、いかにかたき役が主人公よりも立場が強いか、というようなことをきちんと描写しておくことで、それぞれの性格を表現しておきます。同時に、主人公がくじけない性格である、ということも忘れずに描いておかなければいけません。
次に、何らかのイベントが起きます。「シンデレラ」の場合には舞踏会が開催されることの通知があるわけです。物語は、イベントに向けて動き始めます。主人公もかたき役も、イベントに向けての準備をはじめますが、「起」で説明済みの状況のとおり、主人公よりもかたき役の方が立場が強い。イベントに関することだけでなく、主人公よりもかたき役の方が、明らかに有利な立場にいることを強調しましょう。ここが「承」になります。「起」に引き続いて、主人公はしいたげられ、かたき役は悪の限りをつくすわけです。
やがてイベント本番になります。「転」です。実際には、イベントが始まった直後あたりまでを「承」と考えてもかまいません。
「シンデレラ」の場合、ここではじめて主人公の協力者があらわれます。主人公は、協力者の力によって、イベントへの参加資格を得ることができるわけです。ほとんど不可能と思われていたイベントへの参加が、協力者の出現によって、可能になるわけです。そしていざイベントへ!
イベントでは、当然のことながら、主人公は大活躍します。マドンナも主人公にぞっこんです(笑)。かたき役はまったく太刀打ちできません。ただし、ここでも主人公の性格をきちんと押さえておく必要があります。つまり、かたき役に対して、今までの恨みを晴らすようなことをしてはいけないのです。主人公はあくまでも優しく。「シンデレラ」の場合には、悪役に対してまで優しかったりしちゃったりしちゃいます。
ここでは主人公とかたき役との立場の入れ替わりだけを、読者に見せれば良いのです。ここで気分がすっきりしなければならないのは、主人公ではなく、あくまでも、読者なのですから。
そしてもうひとつ大事なことは、ここでもまだ主人公には枷がかけられている、ということです。お話し作りの基本として、「主人公には楽はさせるな」というのがありますから、できるだけ苦労させてください。この点に関しては、また別の場所で考えてみることにして、ここでは先に進みましょう。
主人公は、この足枷のために、結局転落を余儀なくされます。それがなかったら、ここは「転」ではなく「結」になってしまいますから。
また、ここには「結」へ向けての伏線が張られています。ご存知ガラスの靴ですね。
そしていよいよ大団円です。
ここではマドンナが活躍します。また「転」で残して来た伏線が、効力を発揮します。その伏線によって、主人公とかたき役の立場は、完全に入れ替わります。あとは、エンディングに向かうだけです。
大雑把な分析はこんな感じでしょうか?異論はあるでしょうが、ここではとりあえずこういう形ということにしておきましょう。どうしても気に入らない、という方は、ご自分で分析してみてください。別に「シンデレラ」にこだわらなくても「白雪姫」でも「かぐや姫」でも「桃太郎」でも、お好きなお話しを。
実はこうしてみると、この「シンデレラ」というお話しは、あまりおもしろいお話しではないのかもしれないのです。なにしろこのお話し、主人公がほとんど努力していないんですね。このお話しでは、主人公はただひたすら耐え続け、ほとんど協力者の力だけで逆転をなしとげます。これは、本来のお話しの作り方からすると、あまり誉められた形ではないのです。物語の主人公は、やはり何らかの努力をしなければいけません。できれば、主人公は努力を重ね、その結果自分の力で何かを手にした方が、お話しとしてはおもしろくなるのです。とはいっても、世の中のほとんどの人が、「努力しないで何かを手に入れたい」と思っているので、その夢をかなえてくれるこのお話しは、そういう理由で長く生きつづけているのでしょう。まあ、これをベースにお話しを考える場合は、そのあたりのことにも注意していくことにしましょうか。
2001.06.03
さて、まずは「シンデレラ」のお話しを、そのまま使ったお話を作ってみましょう。そのまま使うったって、文字通りそのまま使ったら、それは単に「シンデレラ」のお話しになっちゃいますから、骨組みだけ使って新しいお話しを考えます。
骨格はこうです。
もっと単純化すると、次のようになります。
元の「シンデレラ」のお話しとは、多少変わってしまっているような気もしますが、余計な枝葉を切り落とすと、こんな感じになってしまうのです。まあ、これをベースにいろいろなお話しを作ろうというのですから、あまり複雑でない方が良いでしょう。
さてこれをベースにお話しを考える場合、一番単純なものは、「いじめられっ子が努力して力をつけ、いじめっ子に勝つ」という、お決まりのパターンです。
映画でいうと「ロッキー」だの「ベスト・キッド」だのは、明らかにこのパターンです。「ロッキー」にはいじめっ子は出てきませんが、パターンが同じだということは、おわかりいただけると思います。もちろん、それぞれ登場人物が増えたり減ったり、各登場人物の性格設定が変わっていたり、起承転結のバランスが変わっていたりしますが、基本はこの骨格とほぼ一緒です。そうそう、ジャッキー・チェンの初期のカンフー映画も、ほとんどこのパターンといって良いでしょう。もちろん、「マイ・フェア・レディ」や「プリティ・ウーマン」もこのパターンですし、「ガラスの仮面」なんか、このパターンの見本です。
また、この手のお話しのほとんどが、先の骨格から考えると、「転」がやたらと長くなっていることになります。これは、「シンデレラ」本来のお話しには存在しなかった、主人公が努力を重ねる、という場面があって、基本的にはそこがメインになるためで、本質的には「シンデレラ」の骨格とほぼ同じといっても良いと思います。
つまり、この手の「シンデレラ」ベースのお話しと「シンデレラ」そのものとの大きな違いは、主人公自身が目的達成のための努力をするかどうか、というところでしょうか。そのため、骨格では「転」の冒頭に入っている「協力者の見せ場」が、どちらかというと「承」に入るようなイメージになるわけです。そういう意味では、このパターンは「シンデレラ」パターンというよりも「ロッキー」パターンと呼んだ方が良いのかもしれませんが、そこはそれ、一応古い方に敬意を表しておきましょう。
最近の映画では実に、クリント・イーストウッド主演の「スペース・カウボーイ」がこのパターンを使用しています。あらすじを平たくいうと、かつて辛い目にあった主人公が、新たな目標を用意され、かつての仲間(協力者)の助けと自らの努力のもと、目標を達成する、というものです。この展開は、ほぼこの「シンデレラ」ベースに近いものがあります。
というよりも、この「シンデレラ」の骨格というのがほとんどの物語の骨格として通用する、ということなのかもしれません。分析のところでも書きましたが、主人公には楽をさせてはいけないのです。ものの大小はあるでしょうが、基本的にはお話しの主人公は、何らかの困難にぶちあたり、それを克服していく、というのが、エンターテインメントとしてのお話しの基本になるのです。もう、はっきりいって、ほとんどすべての物語がそうだ、といっても過言ではないかもしれません。もちろん、骨格だけ比べるとまったく違う物語も存在します。でも、よく見ると、骨格は違っても、物語の中ではこの「シンデレラ」の骨格の繰り返しだったりするんです。
たとえば「ジュラシック・パーク」などのようなお話しでも、主人公が困難にぶちあたる、努力してそれを克服する、そしてまた困難にぶちあたり、とこのパターンの繰り返しなのはわかると思います。
そういう意味でこの「シンデレラ」の骨格は、すべてのお話しの基本になるのです。
それだけに、オリジナリティを発揮するのは難しいかもしれませんが、そこはそれ、この「小説のようなモノの書き方」さえ読んでおけば、怖いものはありません。って、本気にしないように(笑)。
2001.06.03
入れ替えるってどういう意味だ?と思ったかもしれません。単純にいえば、骨格はできるだけそのままで、登場人物の立場を変えてみる、ということです。つまり、主人公を変えてみる、ということ。継母を主人公にしたり、王子様を主人公にしたりするわけです。それによって、同じ骨格でも視点が変わりますので、話しの内容も変わってきます。
入れ替え方はいくつかあります。
まず、本来の骨格ではかたき役として設定されている人物を主人公にしてみましょう。主人公とかたき役の立場が入れ替わります。これはどういうことかというと、物語がはじまったばかりの状態では、かたき役よりも主人公の方が立場が強い、ということになります。立場が強いといっても、あんまりかたき役をいじめていると、読者が主人公に共感してくれなくなりますから、ほどほどにしておきましょう。いや、別に思い切りいじめまくってもかまいませんが(笑)。
主人公は、幸せに暮らしているわけです。まあ、それなりの悩み事はあるでしょうが、おおむね人生を謳歌している。そんな主人公に、何らかの目標となる事柄がが発生します。これは主人公を入れ替える前と同じです。主人公もかたき役も、同じ目標を目指すわけですから。
で、まずは主人公はその目標に到達します。というか、その目前まで行くわけです。ほとんど幸せの絶頂といってもいいかもしれません。ところが、突然かたき役に協力者が現れます。協力者の助力を得て、かたき役がのし上がって来たために、主人公は叩き落されてしまうのです。このあたりは、うまく書けばかなりのサスペンスになるでしょう。それまで幸せに生活していた主人公が、不幸のどん底に叩き落されるようなものです。
しかし、かたき役のミスによるものか、主人公の努力によるものか、かたき役の方も結局転落するわけです。少なくとも、一時的には危機を脱出できるわけです。
一度は安心した主人公ですが、心の中に不安は残っています。そしてその不安はやがて的中するのです。かたき役の卑怯な策略によって、かたき役が勝利をおさめてしまうのです。お話しはそれでおしまい。主人公が負けて終わるのです。
このままで終わるのはいやですか?
その場合は、単純に主人公とかたき役を入れ替えるだけでなく、物語自体も変えちゃってかまわないわけですから、最後には主人公が勝ってハッピー!という終わり方にしても良いわけです。そういう展開のお話しなら、たぶんたくさんあるでしょう。ありがちなお話しとしては、自分の父親の会社を乗っ取った男たちを、次々と破滅に追いやっていくクールな主人公、なんてぇお話しがありそうです。
実をいうと、このパターンから前半の「主人公が幸せな時期」を取り払うと、「シンデレラ」のお話しそのものになってしまうんですが(笑)
次は協力者が主人公の場合。
あるところに、しいたげられた者がいました。しいたげられた者は、色々な理由でかたき役にしいたげられています。あるとき、主人公はそれに気づきます。そして、しいたげられた者をあわれに思い、手助けしてあげるのです。主人公の助けによって、しいたげられた者も力を得ます。ところが、しいたげられた者のちょっとしたミスによってか、あるいは主人公の力が及ばなかったためか、結局またしいたげられる立場になってしまったりします。あるいは、前よりひどくなったり。しかし、主人公がかねてより用意しておいたアイテム(ガラスの靴)のおかげで、すべてが見事に解消され、しいたげられた者はしいたげられなくなり、かたき役は破滅します。めでたしめでたし。
さて、どこかで聞いたことのあるお話しじゃありませんか?日本人ならたぶん誰でも知っているお話しです。
このあらすじの「かたき役」を「悪代官」に「ガラスの靴」を「印籠」に置き換えてみてください(笑)。そうしたらもう「主人公」は決まってしまいますね。呼び方は「御老公」でも「黄門様」でもお好きなように。
有名な西部劇「シェーン」もこのパターンですし、細部にかなり違いはありますが黒澤明監督の「七人の侍」の大筋もこれに近いかもしれません。
このパターンの特徴は、主人公が最初からある程度の力を持っている、ということでしょう。もちろん、それなりに何らかの努力はします。主人公に楽をさせるな、という基本は、ここでも採用されますから。この場合主人公の苦労は、しいたげられた者を助けなければならない、ということでしょう。しいたげられた者をいかにして助けるか、これがこのパターンの中心になるかもしれません。
次に、マドンナを主人公にした話しを考えてみましょう。ただこのパターンは、少々難しいのですが……
なにしろ、基本の骨格では、マドンナは「転」になるまで出てきません。したがって、マドンナを主人公にした場合は、基本の骨格をそのまま使うことができなくなってしまうのです。それでもまあ、一応やっておきましょうか。
ある日主人公の前に謎の人物が現れます。その謎の人物は、主人公に強い衝撃を与えますが、突然姿をくらましてしまいます。主人公は、わずかに残された手がかりをたよりに、謎の人物を探します。やっと見つけたと思っても、それは偽者だったり別人だったり。でも、最後には主人公も謎の人物にたどりついて、物語は終わります。
このパターンは推理小説あたりに使えそうですね。コーネル・ウールリッチという人が書いた「幻の女」はこのパターンと言っても良いかもしれません。細部ではかなり違いますが。
このように、同じ骨格でも主人公を変えてみるだけで、かなり違ったお話しのようになります。たとえば「桃太郎」の骨格を、鬼の立場から使ってみると「インデペンデンス・デイ」に近くなっちゃったりもします。
この手法を使う場合の一番簡単な方法は、各キャラクターをそのまま使うこともできる、ということです。つまり、継母の立場から「シンデレラ」を書くとか、魔法使いの立場から描いてみるとか、それだけでも、別のお話しを作ることができるのです。その詳細はまた<A HREF="./howto.cgi?TYPE=Y&NO=08-005">「疑問を抱いてみる」</A>や<A HREF="./howto.cgi?TYPE=Y&NO=08-006">「前日談・後日談」</A>あたりで考えてみましょう。
2001.06.03
ここでは、骨格の一部分を強調してみようと思います。どうやるかというと、「起承転結」のバランスを変えたり、どこか一部を思い切り強調したり、ということをするわけですが。そう考えると、ここまでに紹介した手法では、元ネタになっている「シンデレラ」の骨格をまったくそのまま使っているわけではないので、すでのこの手法の紹介は終わっているようなものなんですが。
それでも一応、こう変えるとこんな話しになる、という例をいくつか上げておきましょう。
すでに紹介しましたが、「ロッキー」だの「ベスト・キッド」だのジャッキー・チェンの昔の映画だのの場合は、起承転結の転の前半、主人公が目標に到達するまでの努力の部分が強調されています。「マイ・フェア・レディ」や「プリティ・ウーマン」も同様ですね。はっきりいって、ほとんどがこのパターンです。
特殊な例もあります。
まず「起」と「承」で主人公がいじめられる部分の描写を、これでもか!というぐらいにやっておきます。ほとんど悲惨なまでにしいたげておきましょう。次に「転」で立場が逆転したあと、また主人公が転落する場面を、これまた強烈に描きます。死んだ方がましだと思えるぐらいに強烈に。一度立場が逆転する場面は、そのためにあるようなものです。そして最後の「結」では、主人公がかたき役を徹底的に打ちのめす。はっきりいって殺しちゃったりします。
これはもう完全に、スティーブン・キングの「キャリー」ですね。テレビの時代劇「必殺!」シリーズもこれに近いような感じがありますが、「必殺!」シリーズの場合には、これに加えて主人公の入れ替えが行われています。
実際には「シンデレラ」の骨格で一部を強調しようと思っても、ほとんどが「ロッキー」パターンにしかならないかもしれません。そこで、ここだけ特例として、ちょっと「桃太郎」に登場してもらいましょう。
骨格はこうです。
説明はしなくてもわかると思いますが、念のためにやっておきましょうか。
「起」は、「むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんが住んでおりました」からはじまり、桃が流れてきてと話しが進み、桃太郎がすくすく育つあたりまでです。
「承」で桃太郎は鬼が島へ鬼退治に行くことになり、旅に出ます。途中で犬と猿と雉に出会うわけです。
「転」では鬼が島へ到着し、それぞれが特技を生かして鬼を退治するわけです。
そして最後に宝物を手に入れて凱旋するのが「結」になります。
さてこの骨格をいじくってみましょう。それぞれの部分を強調してみます。
まず「起」の主人公の生い立ちの説明を強調した場合ですが……あるかなぁ、そんな話し。ちょっと思い当たらないんですが。主人公の生い立ちだけを、延々と説明しているお話しなんて、おもしろくもなんともなさそうですし。
無理やりあてはめるとすれば、純文学あたりにでもありそうな、主人公のなんでもない日常を描いた作品なんかは、このパターンでしょうか。小津安二郎監督の映画なんかは、これに近いかもしれません。まあ、かなり違うような気もしますが。
それにくらべて「承」は強調のし甲斐があるかもしれません。
まず、目的地に到達するまで、という部分だけを延々と描くと「ロード・ムービー」といわれるパターンになります。主人公がある目的地に向かって旅を続けるお話しです。途中いろいろな人と知り合い、いろいろなことを経験して成長していく、というやつですね。有名なところでは、かなり古いアニメですが「母をたずねて三千里」なんぞは、完全にこのパターンですね。このおはなしはもう、その部分しかないような感じですし(笑)。まあ、「母をたずねて三千里」自体が「クオレ」というお話しの一部分だけを取り出したものだそうですから、あたりまえといえばあたりまえなのかもしれませんが。
逆にあまり旅はしませんが、目的のために仲間を集め、力をあわせて目的を達成するというお話しもたくさんあります。「七人の侍」はそのお手本でしょう。
「転」と「結」に関しては、強調もくそも、はっきりいってアクション映画なんぞは「転」のオンパレードでしょうし(笑)、大団円だけ強調してもあまり意味はなさそうなんで、それは考えませんが。
まあ、他の有名なお話しをパクる場合もそうですが、基本的には、骨格とはいえそのまままるまるパクってもおもしろくないでしょう。やはりどこかを強調してみたり削ってみたり、全体のバランスを変えたりするわけですから、ここが腕の見せ所かもしれません。
2001.06.03
さて、ご存知のように、ここはわたしの得意分野です(笑)。今回、これが書きたいばっかりにこの章を書き始めたといっても過言ではない、かどうかは知りませんが。
「シンデレラ」のお話しには、読者には知らされていないことや、そのままでは少々つじつまのあわないような部分が、いくつもあったりします。まずは、思いつくことを片っ端から上げてみましょうか。
シンデレラの実の両親はどこにいったのでしょう?母親は死別、生別?父親はどこにいる?だいたい、父親という人は、再婚相手になんでこんな女を選んだのか。これが大きな疑問です。
逆に継母やその連れ子の行動にも納得がいかない部分があります。なぜそんなにもシンデレラをいじめるのか。本によっては、シンデレラがあまりにもできが良すぎて、そのために自分の娘が劣って見えるので、それで継母はシンデレラをいじめた、と書かれている場合もあります。それにしたって、そういうことがシンデレラの父親である亭主にばれたら、大変なことになると思うのですが、継母はそういうことは考えなかったのでしょうか。
そもそもシンデレラは、いじめられていることを、なぜ父親に訴えなかったのでしょう。それすらもできないような性格だとしたら、いくら魔法で着飾ったとしても、舞踏会で堂々と踊るなんてことはできないと思うのですが。これもまた、本によっては「お父様にそんなことを言ったら叱られる、と思った」と書いてあるものもありましたが、いくら継母たちが内緒にして、シンデレラ自身も口をつぐんでいたとしても、シンデレラのみすぼらしい姿を見れば、父親だって気づきそうなものだと思うのですが。
こういう疑問が出てくると、やはり最初の疑問に戻ってしまいます。つまり、父親はいったいどこで何をしていたのか、ということ。
父親は一応、貴族のはずなんですよね。お城の舞踏会に娘たちが招待されるぐらいには、地位のある人物なんです。だから、ひょっとしたら、どこかに単身赴任してたりするのかもしれません。
このあたりは、そのまま現代の家庭を舞台にしたお話しに使えそうです。仕事ばかりの父親。うまくいかない後妻と子供。……なんだか陳腐なドラマの設定みたいですけどね。
魔法使いにも謎はあります。なぜいきなり現れたのでしょう?なぜもっと早く、シンデレラが継母や義理の姉妹にいじめられているときに、助けに来てくれなかったんでしょう。そもそも、なんでシンデレラに魔法をかけてくれたんでしょう。事前に伏線でも張ってあれば別なんですけどね。
0時を過ぎると魔法が解けてしまうのに、ガラスの靴だけなぜ残っていたのか、という点を疑問に思う方もいらっしゃるでしょうが、これは実は問題ないんですね。実はガラスの靴だけは、魔法で出したりしたものではなく、魔法使いがくれたものなんです。それにしたって、なぜ靴だけ魔法を使わなかったのか、という問題は残りますが。そうそう、ガラスの靴というのも、本当はガラスではなく革だったとか、色々な説があります。まあそれはここではどうでもいいことですが。
ガラスの靴がシンデレラ以外の誰の足にもあわなかった、というのも疑問ですね。たしか国中の娘に履かせたはずなんですね。国中に若い娘が何人ぐらいいる国なのか知りませんが、同じサイズの足の持ち主がまったくいない、というのも謎です。
シンデレラ本人に対する疑問もまだあります。彼女は、継母やその連れ子に対して、どういう気持ちを持っていたのでしょう?はっきりいって家を乗っ取られたような状況なのに、それに対するシンデレラの心境や、そこから来る言動というものは、あまりはっきり見られないようです。父親に対してはどう思っていたのでしょう?自分がこんな目にあわされているのに、それを放置しておく父親に対する怒りはなかったのでしょうか?
王子様のやってることだって変です。
唯一の手がかりであるガラスの靴を使って、謎の美女を探すというのは良いアイデアでしょうが、靴のサイズがぴったりだからといって、それだけで決めてしまってよいのでしょうか?まあ、これに関しては、シンデレラが残るもう一方の靴を持っていた、という明らかな証拠があることになっているようですが。
一番の謎は、服だの髪型だのが変わっただけで、毎日同じ家で生活している継母や姉たちに、シンデレラだということがなぜ見抜けなかったのか、ということ。同じ疑問が、クラーク・ケントとスーパーマンに対しても言えるんですが。まあ、女性の場合、うまく化粧をすると別人のようになってしまうこともあるようですから、そのあたりはまあ、よしとしましょうか。でも、声は変わらないと思うんだけどなぁ。
こうやって考えていけば、他にも色々と出てくるでしょう。とにかく、ほんのささいなことでも疑問を持ってみてください。あるいは疑ってかかる。中には、調べればわかるようなこともあるかもしれません。本来なら、疑問はきちんと解消するべきでしょうが、ここで必要なことは、正解を出すことではありません。深夜0時を過ぎてもガラスの靴が消えなかった本当の理由は、どうでもいいことなんです。
と思うことが大切なんです。そして、それに対する自分なりの答えを出してみる。ひとつだけではなく、できるだけ多くのアイデアを出して見る。このあたりの手法は、「メモの達人への遥かなる道のり」なんてぇブログがありますので、そのうちそこで取り上げてみましょう。あ、まだ取り上げてないんで、今行っても無駄ですよ。
こういったようなことを念頭に置いて「新説シンデレラ」なんてぇお話しを作ることもできそうです。すでに誰かがやっていそうな気もしますが。
とりあえず、継母がシンデレラをいじめたのには、大きな理由があった、というのを考えてみましょうか。
たとえば、シンデレラは本当はそれほど心の優しい娘ではなく、じつはシンデレラの方が先に、義理の母にひどいしうちをしていた、とか。実はシンデレラの父親はろくでもない男で、飲む打つ買うで家が傾きかけていて、それを立て直すために、金目当てで再婚した。結婚してからそれに気づいた後妻だったけれど、亭主本人は、なんだかんだと理由をつけて家によりつかないので、その怒りをすべて娘にぶつけた、とか。すべてはシンデレラの狂言で、実際にはいじめはまったく行われていなかった、とか。
このあたりは考えていけばいくらでも出てきそうです。
他にも、シンデレラを助けるために出てくる魔法使いは、実はシンデレラの本当のお母さんだったとか。王子様は足フェチだったとか。ガラスの靴がシンデレラ以外の足にあわなかったのは、シンデレラが非常に背が高く、それにあわせて足も女性にしては大きかったから、とか。もちろんその場合、王子様は大女フェチもしくは大足フェチということになりますか(笑)。
ここまで来ると、疑問を抱くとかそういう世界ではなくなってしまいますが。それはそれでOKでしょう。要はいかにして「シンデレラ」からオリジナルのお話しを作り出すか、ということなんですから。
2001.06.03
これはもうそのまんま「継母はなぜ意地悪になったのか」とか「シンデレラの父親はなぜあんな女と再婚したのか」「実の両親はいったいどうなっているのか」というような<A HREF="./howto.cgi?TYPE=Y&NO=08-005">「疑問を抱いてみる」</A>で持った疑問に対する自分なりの答えを、新たなお話しにしてしまえば良いのです。あるいは「王子様と結婚した後のシンデレラはどうなったか」ってなお話しを書いても良いし。
たとえばこんな感じで。
なんか、ちょっとおもしろそうな感じになって来ましたか?(笑)。
このようにして、シンデレラは王子様と結婚し、幸せにくらしました、で終わらせずに、そこから先に新たなドラマを用意するわけです。もちろんその場合は「シンデレラ」の続きを書くわけですから、登場人物の性格をはじめとした各種設定は、「シンデレラ」のものを引き継がなければいけません。とはいっても、この例のように、敵だと思っていた人物が実は味方だったとか、味方だと思っていた人物が敵だった、というような意外な展開を用意することは、悪いことではないでしょう。ただしその場合も、それまでの各登場人物の言動の理由を、正しく説明しなければなりません。それをしなかったら、それはもう「その後のシンデレラ」でもなんでもなくなっちゃいますから。
もちろん、そのまま「シンデレラ」の登場人物を使って、文字通り「その後のシンデレラ」を考えるのではなく、まったく独自のキャラクターを作って、オリジナルな話しを考えても良いのです。
たとえば、「骨組みをそのまま使う」で検討したような形で、「シンデレラ」をベースにして新たなものがたりを考えたとしましょう。でも、そのお話し自体はどうもおもしろくない。それよりは、その部分は本編の過去にあった出来事ということにしてしまって、その後の話しをメインに据えた方が面白いかもしれない。ってな場合もありますから。
たとえばこんな感じで。
まあ、この内容だと、「入れ替える」でやった「主人公とかたき役」の入れ替えと同じになっちゃうんですけどね(笑)。
ただ、この内容を見る限り、発想の元に「シンデレラ」があるとは思えないでしょう。「シンデレラ」のどこをどう変えたらこんな話しになるんだ、というような内容になるかもしれません。それで良いのです。別に「シンデレラ」の焼き直しをしようというのではないのですから。「シンデレラ」からスタートしたからといって、いつまでも「シンデレラ」に執着している必要はないのです。いっそのことまったく違う内容になってしまった方が、最終的には「自分の考えたお話し」ということになるのですから。
2001.06.03
さて、「シンデレラ」をベースにした骨格を単純にあらわすと、「辛い目にあっている主人公が逆境を跳ね返す、サクセス・ストーリー」ということになります。単純でわかりやすいですねぇ。もちろん、もう少し詳しく書けば「骨組みをそのまま使う」で説明しているような形になります。
ただ、これだけでは少々さみしい。わたしはさみしいと思っちゃうんです。もうちょっと複雑でもいいんじゃないか、と。
そこで、この骨格に他のお話しを混ぜてみましょう。というか、おそらくそういうことをする場合、「他のお話し」の方がメインになるような気がします。「シンデレラ」のこの骨格は、基本的にはお話しの骨格というよりも、どんなお話しにも通用する、主人公の動機付けのようなものですから。
で、どんなお話しを混ぜてみるか、ということですが。これはもう、どんなお話しでもかまいません。ただ、あまり同じような内容のお話しには、しない方が良いかもしれません。そりゃもちろん「シンデレラ」と「白雪姫」を混ぜたって、わたしが文句を言う筋合いのことではありませんけど。ためしにちょいとやってみましょうか。
まだ続けても良いのですが、このあたりでやめておきましょうか。こうやって書いてみると、意外とおもしろそうな気もしてきましたが(笑)。でも、どうせ混ぜるなら、異質なものを混ぜた方がおもしろい、というのは、世の中の常識でしょう。って、ホントに常識かどうかは知りませんが。
たとえば、「シンデレラ」と「桃太郎」を混ぜてみるとか。「シンデレラ」と「浦島太郎」を混ぜるとか。「シンデレラ」に「鶴の恩返し」を入れてみるとか。いや、べつに昔話じゃなきゃいけないわけでもありません。選ぶ素材はなんでもかまいません。混ぜるお話しも、なにも二つだけに限らなくてもかまいません。三つ四つ混ぜても良いのです。ただ、あまりたくさん混ぜてしまうと、何がなんだかわからなくなってしまいますから、まあ、多くて三つ。できれば二つぐらいでやめておいた方が良いでしょう。
どう混ぜるかは、みなさんの自由です。全体のストーリーは「シンデレラ」をベースにして、お城に行く途中に「桃太郎」を混ぜてみるとか(どうやってやるのか、わたしは知りませんが(笑))。
あるいは、浦島太郎が竜宮城で見たものは、継母にいじめられる乙姫の姿で、帰りにもらった玉手箱の中には、再会を約束した乙姫が入れた、ガラスの靴が片方入っていて、太郎は乙姫を探す旅に出たのでした、なんてぇ展開にしてみるのもおもしろいかもしれません。その先で、乙姫様を探す太郎が、旅の途中で犬だの猿だの雉だのに会って、鬼が島に鬼を退治しに行くことになったり、退治したはずの鬼の一匹が、切られた腕を取り戻しに来たり、その鬼まで仲間に引き入れて、乙姫が天竺にいると聞いてそこを目指してみたり、やっと出会った乙姫だと思って、ガラスの靴を履かせてみたら、サイズが全くあわなくて、別人だったのかと思ったら、年月が経ちすぎて乙姫も中年太りになっていたりとか…… こうなってしまうと、ただ単に昔話をいくつも繋げただけ、ということになってしまいますが。限度をわきまえないと、変なお話しになってしまうでしょうが、そこはそれ、書いてる本人が楽しければそれでよし、と。
2001.06.03